幼少期
高度経済成長期
1971年 6月
奈良市東部の須川町で生まれる
市の東部地域は田園風景が広がる豊かな自然が魅力で、稲作やお茶の生産が盛んな地域であり、恵まれた環境の中で幼少期から学生時代を過ごす。
1972年
自宅での写真。物心つく前からトラックが好きだったようです。建設会社を経営する家庭環境から、とにかく建設機械が好きでした。
学生時代
バブル景気の時代(1985~1991頃)
1987年
奈良大学付属高校(旧正強高校)普通科英語コースに進学
普通科英語コースは普通科の特進コースとして設置され入学すれば四期生になることしか知らず入学したところ、
月火金曜日は8時間授業、木曜日は7時間授業、さらに当時は西大寺近くに宿泊施設を有していたことで金曜日は合宿学習があり21時ごろまで学校にいた記憶もあります。
基本は体育会クラブでの活動は無理と言われましたが、あきらめきれずバレーボール部に入部。
実際のクラブ活動は水土曜日の二日間であったが部の理解もあり、充実した高校生活を過ごしました。
1990年 4月
大学進学
この頃は、1987年秋に公開の映画「私をスキーに連れてって」が大ヒットしスキーは一大ブームの時代を迎えていました。 スキーを本格的に始めたのは高校の卒業旅行からですが大学一年生の冬にスノーボードに出会いました。 当時はスノーボードが滑走可能なゲレンデがほとんどなく、岐阜県までゲレンデを求めて毎週のように滑りに行っていました。
学生から社会人へ
バブル崩壊(1991~1993年頃)
県外の大学に通学しながら地元では青年団の活動で地域とつながり、充実した学生生活を送っていましたが、学びへの気持ちが切れて中退…。
建設業に関する専門知識を学ぶため、修成建設専門学校に進学。
在学中は可能な限り建設現場で働き、土木や建築、また水道の現場を経験をしながら学校で学びました。
大学進学させてもらいながら途中退学したことは、その後の社会人生活において、両親には申し訳ない気持ちでおりました。
専門学校卒業後、二級の各種施工管理技士の資格を取得。
その後、現場施工の実務経験を踏み、一級の施工管理技士及び水道の国家資格を取得して、現場、営業そして経営者の道を歩みました。
1998年 4月
結婚、一男一女に恵まれる
1998年4月5日に結婚披露宴を三井ガーデンホテル奈良(現在はホテル日航奈良)で執り行いました。 ホテルオープン第一号の結婚式であったことから当時の新聞に掲載されました。
奈良日日新聞 1998年(平成10年)4月6日(月)21世紀の始まり
2000年
1990年代後半から、建設業にもISOの認証取得が求められました。 経営事項審査への加点や技術提案型の入札制度も始まったことから、ISO9001(品質)/ISO14001(環境)を取得し約10年に渡り品質管理責任者を務めました。
ISOの品質/環境のマネジメントシステムは、業務の品質や効率を高めることを目的とした業務管理手法の1つであるPDCAサイクルで構成され、 業務上のプロセスを4つに分けて実行することにより、業務品質や効率の向上を図ります。
2003年
20代前半に始めたジェットスキー、休日はファミリーやグループでよく琵琶湖や海にレジャーに出かけました。
先輩にも誘われ本格的なレース参戦も経験しました。
会社経営と青年会議所運動
2004年 1月
奈良青年会議所に入会。多くの仲間と出会いまちづくり、ひとづくり運動に励む。
青年会議所(JC)は“明るい豊かな社会”の実現を同じ理想とし、次代の担い手たる責任感をもった20歳から40歳までの指導者たらんとする青年の団体です。
2007年 4月
青少年育成委員会委員長を務め、地元大柳生町で農村体験事業を開催。当時、作物の発育状況を発信していたブログが新聞掲載される。
青年会議所運動の本質は、会員自らが学び成長することで、組織が成長し、そのまちが成長し発展していく、社会をよりよくするシステムにあります。 市民運動を任された委員会でしたが、笑顔があふれる農村体験事業が開催出来ました。
リーマンショック(2008年)
2009年 12月31日
平城遷都1300年の幕開けに向け、登大路園地でカウントダウンイベントが開催され実行委員として参加
せんとくんは、2010年開催の平城遷都1300年記念事業公式マスコットキャラクターとして誕生し、2011年からは奈良県のマスコットキャラクターを務めてくれています。
平城遷都1300年(2010年)
2011年 1~12月
奈良青年会議所 第52代 理事長
8年間の青年会議所運動で得た経験と、出会った仲間との絆は私の人生においてかけがえのないものとなっています。
2011年 9月
采女祭 花扇奉納行列へ長男長女と共に参加
春日大社 末社 采女神社の例祭。この年はご縁をいただき花扇奉納行列、花扇奉納神事、管絃船の儀に参加させいただきました。
2012年 10月
PTA会長と奉納演武
2010年から三年間、奈良市立済美小学校のPTA会長を務めました。
長女は済美小学校の放課後子ども教室「せいびっ子 SMILE」でダンスを始め、その後はCheerful Showで本格的にダンスを習いました。
この年はバサラ祭りの企画で薬師寺での奉納演武という貴重な機会をいただきました。
政治の世界へ
第二次安倍政権発足(2012年)
2012年 12月
自由民主党奈良県第一選挙区支部青年局長就任
12月16日の衆院選で自民党は294議席を獲得し、3年3カ月ぶりに政権を奪還する。
2013年 7月
奈良市議会議員選挙で初当選
2013年 12月
長女が春日若宮おん祭で郷神子を務める
ご縁から、春日若宮御祭郷神子参勤が命ぜられました。 本人はもとより家族にとっても、いただいたご縁に感謝の貴重な経験でありました。
2014年
長男が所属する中学硬式野球チームの奈良ウイングの副代表を務める
チームはこの年、春季大会出場と選手権大会への出場を果たし、7月開催の第22回ヤングリーグ選手権大会でベスト4へ進出しました。 全国大会出場報告で荒井奈良県知事を表敬訪問しました。
2017年
長男が所属する奈良県立郡山高校野球部保護者会会長を務める
7月2日に、第99回 全国高校野球選手権 奈良県予選に向けた激励会を開催、保護者会会長として謝辞を述べました。
途中で感極まって泣いてしましたが今となってはいい思い出です。
前年に先輩たちは、甲子園優勝経験校の智辯学園相手に延長戦までもつれこむ接戦を演じましたが、あと一歩およばず準決勝敗退となっていました。
この年も智辯学園の壁に阻まれ三回戦敗退で甲子園出場の夢は閉ざされました。
長男は智辯戦の最後のバッターとなってしまいましたが、この時の投手は、現広島東洋カープの松本竜也投手でした。
悔し涙を流した三振ですが、のちのプロ野球選手との対戦は今では本人の自慢話になっています。
2017年 7月
奈良市議会議員選挙で二期目当選
201〇年 帝塚山大学に社会人入学-卒業
子育てを通じ二人の子供の受験・進学を見守る中で、大学を中退した自分の過去のやり残しをあきらめきれず、学び直し(リスキリング)を決意。
帝塚山大学 経済学部へ編入試験を経て進学、学士(経済学)学位を取得。我が子と同世代の学生に混ざって授業を受けていました。
社会人の学び直しに対しては大学も十分な配慮があり、仕事への影響を最小限に抑えることが出来ました。
近年注目される学び直しを経験した者として、その難しさや成果を伝えていければと考えています。
写真は“経済と金融教育”の授業風景で、野村証券より外部講師を招いた講義でした。
社会人として受けるこれらの講義はどれも興味深く貴重な経験であり、学び多き社会人学生生活を送ることができました。
2018年 10月
全国防衛協会連合会青年部 第18回全国青年研修大会「近畿大会」を開催
2018・2019年度は近畿地区防衛協会青年部連絡協議会会長を務めました。 この年は全国大会を近畿地区協議会が主管しており、大会を主管する会長として滋賀県で全国大会を開催しました。
恩師の勧めもあり大学院進学を決意
大学院は同世代の社会人も多く、講義の時間割も早くて5限の16:20開始で、ほとんどが6,7限の時間割りで構成されていました。
社会人の学び直し(リスキリング)に配慮された環境で多くの仲間と共に勉学に励んだ院生生活でした。
関西大学の図書館は充実した内容と適切な蔵書構成で利用者の需要を十分に満たすもので、ガバナンス研究科院生共同研究室は設備環境も充実しており、環境にも恵まれ論文執筆に励むことが出来ました。
コロナの時代へ突入
2019年 12月
中国・武漢で発生した新型コロナウイルスはその後世界中に広がる
2020年1月、新型コロナウイルスが日本にも上陸、世界はコロナの時代を迎えました。
長女は2019年の9月からアメリカに留学しており、留学先でのロックダウンを経験しました。日本国政府がアメリカからの水際対策強化を決めたため、3月26日に緊急帰国しました。
留学途中での緊急帰国にはなってしまいましたが、アメリカ留学で得た貴重な経験と出会いは今後の人生において活かしてくれると信じています。
画像は長女撮影のニューヨークタイムズスクエアのカウントダウンイベント(2019年大晦日)。
政治の世界でのステップアップ
2020年 7月
奈良市監査委員委嘱
2021年 3月
関西大学大学院 修了式 修士(政策学)学位取得
政治家には政策実現能力が求められます。政策提言に取り組んでいきたい思いを強く持っていたことから、修士(政策学)の学位を取得しました。
社会が目まぐるしく変わる今日、仕事で求められる知識やスキルを時代の変化にあわせて継続的にアップデートすることが求められています。
私は政治家としての能力向上を目的に社会人の学び直し(リスキリング)を決意しました。
仕事との両立は簡単ではなく大変ではありましたが、かけがえのない時間でした。
日常の世界観が広がったことは間違いなく、この経験を広く伝えて行ければと考えています。
2021年 7月
奈良市議会議員選挙で3期目当選
2021年 8月
奈良市議会副議長に就任
山本かずひろをより身近に感じていただけるよう、「山本かずひろのこれまでの歩み」を作成しました。
生い立ちから現在に至るまで、なるべく詳しく表現しています。
これからも応援をよろしくお願いします。